「教会と国家」

A.教会が経済的に全く心配のないとき

 米国の開拓時代、あるキリスト教団は、初代メンバーの多額の献金により基金が設立され、その後は献金がなくても教会を運営して行けるようになりました。ところが、献金が要らなくなった教会は、全く成長しなくなったといいます。集っているメンバーの献金により必要が満たされていくとき、教会も信徒の信仰も成長するのです。
 過剰な保護は、教会を衰退させるだけで、ましてや国家による保護など教会は必要としません。むしろ、この世的な苦難や経済的な問題、迫害の中でこそ成長するのがキリスト教会なのです。

B.聖書より

問題が教えとか名称とか諸君の律法に関するものならば、自分たちで解決するがよい。わたしは、そんなことの審判者になるつもりはない。」使徒言行録18章15節
 ユダヤ人たちはパウロを襲い、彼を法廷に連行し、パウロはローマ帝国が認可しているユダヤ教以外の教えを広めることで、ローマの法律を破っていると訴えました。総督ガリオンは、教養ある人物でした。彼は個人的な見解や、偏見によらず、物事全体を大きな目で見ることができました。ガリオンは公平なローマ人であったため、ユダヤ人らの陰謀を見抜き、パウロが弁明する間もなく、以下のように、彼らの訴えをしりぞけました。「もしパウロがローマの法律にそむいたのであるならば、訴えを聞こう、しかし、ユダヤ人の信仰とその解釈にすぎないのなら、自分の権限以外のことだ」と、ガリオンは正しい態度をとったのです。
 政治は、この世だけのもので、信仰は、神さまとの関わりあいを中心にして、この世を見るものです。従って、宗教の問題、即ち信仰の内容は、為政者たちによって裁かれるような筋合いのものではないのです。これが政教の分離、信仰の自由です。

C. 良心的兵役拒否

 日本における最初の良心的兵役拒否者は矢部喜好(やべきよし)です。日露の問題が急迫して人々の間に戦争熱がみなぎって来ると、彼は中学生の身でありながら教会員の一団に加わり、毎晩のように警察署横の街頭で「戦争は神のみ旨に反する罪悪である」と大声で人々に呼びかけました。群衆から売国奴、非国民と罵られ石を投げられて血や泥にまみれて引き上げることも度々ありました。
 日露戦争下の1905年(明治38)、召集されましたが、彼は真剣に祈った結果、入隊の日の前夜、連隊長を訪ねて「自分は神の僕として『汝殺すなかれ』との戒めを厳格に守らねばなりません。だから銃をもって戦場に臨むことはできません」と兵役拒否を申し立てます。その結果、彼は2ヶ月の判決を受け投獄されました。服役をおえて出獄すると、福島連隊区司令部より出頭を命じられ、家族も教会員も彼もみな自他ともに銃殺になると覚悟しました。行ってみると「敵と戦うことが主義に反するなら、看護兵となって傷病兵の世話をせよ」と言われ承諾しました。入隊後も盛んに伝道するので上官の監視を受けるようになりましたが、間もなく講和が成立し除隊となりました。
 教会は、政府の保護は必要としません。そして、健全な社会生活に必要な政府を、教会は敬うべきですが、政府に不義がある場合、それを指摘する責任があります。戦争は、明らかに御心に反することであり、今後、国家が戦争が起こすならば、教会は良心的兵役拒否の立場をとりましょう。

D.結び

 健全な社会生活に必要な政府を教会は敬い、そこに不義がある場合、それを指摘する責任があります。各自、自分の十字架を負って、イエス様に従ってゆきましょう。
御翼2010年11月号その3より

 
  
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